なぜ生まれてから過去生の記憶が消えていくのか!?

魂の成長について

高校生の女の子からある質問をされました。
『どうして過去生の記憶が消されるの!?過去生からの記憶があるほうが楽なんじゃないの!?』

若い頃は僕もこんな考え方していたこともあったなということを思い出しました。

もしかしたらこんなことを考えたことのある人は案外いるのかもしれません。
あまりにも分からないことだから神様の悪戯と扱っている人もいるのでしょうか。

過去生からの記憶に関しては幼少期の頃に思い出せる子はそれなりにいたりします。
母親の胎内にいる時のことを思い出せる子もいるように、胎内に入る前は何処にいたのと質問すると答える子供はいたりします。

なぜこのように幼少期の頃に思い出せるのかというと、まだトラウマや観念が少なく思い出すことにあまり壁がないことがあげられます。
壁がなく思い出せることによって、思い出した途端に泣く子もいたりしますね。

もし過去生で有名人であった記憶を持ったまま生まれ変わったとしたらどうでしょうか?

悪名が轟いた人物であったとしたら大変です。
自分がその人物だと特定されたら噂されてしまうのではないだろうかと怯えながら生きなくてはなりません。

偉大なる人物であったとしたらどうでしょう。
それはある意味では羨むほどの存在であったとしても本人は受け入れたくないこともいっぱいあるものです。
もしバレたら不要に期待されることもあるかもとプレッシャーがかかることもあり得ます。

有名人になってしまったが故にお亡くなりになってしまった過去生であったとしたら、もう絶対に誰にも知られたくないとひた隠しにしたくなることでしょうし、場合によってはフラッシュバックして日常生活に支障が出ることもあるでしょう。

もし原始人の記憶を持ったまま生まれ変わったとしたらどうでしょうか?

もう現代の環境に慌てふたむくかもしれません(笑)
大自然が当たり前の環境にいて自給自足で全て人力で調達してきたものが、現代では何もかもが揃っているのです。
水を汲みにいかなくても水道の蛇口をひねれば水が飲めてしまうのです。
便利ではありますが、大自然に感動し感謝してのんびり幸せに暮らすということが出来なくなり、精神的には疲弊しか存在しない状態になるかもしれません。

もし江戸時代に武士だった過去生を持つ人が記憶を持ったまま生まれ変わったとしたらどうでしょうか?

腰に刀がないことで落ち着かない気分になるかもしれません。
現代人の無礼さや根性の足りなさに、武士の誇りや気位が反応していちいち腹を立てるかもしれません。
サラリーマンや営業の仕事なんて出来ないでしょうね。

もしなんらかの学びとして必要があって動物になったことがあって、その記憶を持ったまま生まれ変わった場合はどうでしょうか?

ちょっとぶっ飛んだ例ですね。
でも案外あるんですよ(笑)

それがもしチーターだったとします。
現代で短距離走者として結果を出すために、過去生で地球上最速の動物になり脚力を磨いてから人間になりました。
でもチーターの記憶が残ったままだったら大変です。
手をついて歩き出すかもしれません。
肉食しか無理かもしれません。
せっかくの転生の計画も意味をなさなくなります。

またはシャチだったとします。
こちらは現代で水泳選手を目指すため、カジキマグロが水中で最速のようですが魚類では学びが少なさそうということでシャチを選択したとします。
でもいざ人間になった時に海の方が居心地が良いとのことで、ずっと海中にいて地上に上がってこないかもしれません…

もし女性もしくは男性だった記憶があるままに逆の性で生まれ変わったとしたらどうでしょうか?

これは色んな変な反応を起こしそうなことが容易に想像つくと思います。
日常生活に支障をきたしそうです。
全て男女逆の発想になってしまうでしょうから色んなことが大変でしょうね。

もし過去生が王様で至れり尽くせり何不自由なく暮らし、勝手気ままでわがままが許されていたのが当たり前のままだと思ったまま生まれ変わったとしたらどうでしょうか?

もしかしたら赤ちゃんの時点で泣き声や寝相から偉そうかもしれません(笑)
本当にこんなことがあったら困ったもんですね〜

過去生では周りの家来の誰もが逆らえなかったことから王様の言うことを全て聞いてくれていましたが、今度はそうはいきません。
誰も嘘のおべんちゃらは言ってくれません。
誰も従ってくれません。
誰も過剰に守ってくれません。
誰も過剰に世話してくれません。
これが当たり前の現実なんだけど、本人は受け入れられず普通とは違う意味で人間不信になるかもしれません…

こんな色んな想像をしていくと面白いですが(僕だけかな…)過去生の記憶を持ったままだとしたら無駄な反応をし過ぎて今の時代の流れをフレッシュに受け取れず、楽しめなかったり、学ばなかったりすることは容易に想像がつきますね。

文明が進歩し続けていけばいくほど、日に日に情報量は増え続けていきます。
江戸時代の頃の1年分の情報量を現代人は1日で受け取っているくらいのレベル感とも言われているそうです。

なので現代では増え続ける情報量に対応出来る脳を養っていく必要があり、過去生の記憶があったとしたら脳が現代の情報をスポンジのように吸収出来ないことがおきてしまいそうですね。

過去生の記憶がない方が良い理由は、余計な意味づけをせずに今の時代を受け取り活かしていくのに、過去生の記憶はかえって邪魔となり成長を促しにくいというのが答なのかなということになりそうです。

そしてある一定の人としての成長を遂て過去生の情報を真摯に向き合えるようになってから、過去生の記憶と対峙出来るようになり解消を進ませていくべき流れになるのかと考えています。

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