今年の締めくくりと来年のスタートを切るための準備をする一大行事!である年末大掃除!
この大掃除に意義を感じてしっかり対応出来れば出来るほど、今年の不要なものは浄化されるし、来年のスタートも良いのである。
そんなことを頭で分かっていても…
毎年ながら大掃除は気が重い………重すぎる…
寒いのにやりたくない…
冷蔵庫の下とか何ヶ月も掃除が行き届かず放置された場所を見るのも嫌だ…
というのが本音なんだけど…
終わりがなかなか見えないスタート時は腰が重くてしょうがない中、少しでもスッキリする箇所が出てくるとやる気が出てくることはよくありますよね。
やり終えると感動すらおぼえるものでもあります。
なんでまたこんな行事が存在するのでしょうか。
こんな行事でもなければ掃除と向き合うことなどあまりないため有り難い行事ではありますが…
かと言って大掃除をしないまま年を越すのは正直なところ、怖すぎて出来ないというのが本音中の本音です(笑)
それくらい毎年大掃除を行うことで重要性を実感し続けているからこそ、毎年続けられるというところでしょうか。
大掃除の効用
- 家に溜まった穢れのエネルギーを除去することで家の状態を良くする
- 掃除をすることで過去の整理が進む
- 家と結果的に向き合うこととなり家を大切にすることにつながる
- 自己対峙につながる
- 家が浄化され結果的に自分も浄化される
- 普段掃除しない箇所が綺麗になり、滞っていたエネルギーが流れ出す
- 新年の御神気をより受け取る条件が整う
- 自分の顕在意識や潜在意識が整理されやすくなる
あげればキリがないくらい大掃除は良いことだらけ…
ただこれだけ頭で分かっていても腰が重い…重い…
掃除のはじまり
なぜ掃除が存在するのか?
当然ながら汚れるからである!
当たり前のことを言うなよ!?って感じかもしれませんが(笑)
そんなもん日本人はあまり前にやってきたことだから、いつがスタートなんてことは分からない。
というか掃除という発想ではなく、住む場を清涼に保ちたいという綺麗好きの縄文人が、汚れたものは必ず綺麗にしていく、汚れたものを持ち込まなかったりするのが当たり前の生活様式であったのだと予測します。
つまり掃除は当たり前に行うもので掃除をしようという発想は、元々はおそらく存在しなかったという感じでしょうか。
ただ場を綺麗に整える精神はハンパじゃなかったと思われます。
なぜならエネルギーの高い場を作ることが大好きな人達だったので…
そこから弥生時代とかに入り渡来人が清涼に保つことを見習い掃除をしだしたのではないのかと…
ほぼリーディングですが(笑)
整理整頓され綺麗に整った家に住むことは、結果的に自分が整う方向に力がかかり続けるものなので自己対峙も要求されますね。
物理的な汚れとエネルギー的な汚れ
物理的に汚れることは結果的にエネルギーが滞ります。
付着した物理的な汚れを掃除するだけでもその場が軽くなることは普通にあります。
この汚れるというものも自分が使うことで汚れるものもあれば、自然と汚れてくることもあります。
ここで書いている自然と汚れてくるものとしては、エネルギー的な作用によるものを指しています。
例えば埃も入ってこないケースに入れてあったのにも関わらず、ネガティブなエネルギーで中のものが汚れてしまうという感じです。
このようなことは実際に起こります。
起きた時はしょうがないので掃除していきましょう(笑)
実際のところまったく使用していないものでさえ、物理的には汚れてはいなくとも、エネルギーレベルでは汚れてしまっていることもあるのです。
こういう厄介なものもあるので注意が必要ですね。
目に見えぬ世界で汚されたとも言えるのかもしれません。
なので大掃除の時は全てしっかりと目で確認していきましょう。
掃除は精神修行の基本である
掃除をする行為は心にも影響する!
そのため修行の基本に掃除が存在しているのだということですね。
掃除の際にどれだけ己の内面と向き合い続けることが出来るかで、己が浄化されていくかが変わってくるということです。
適当にやっていればそこそこ見た目は綺麗になるかもしれないけれど、心まで磨かれることはない。
掃除と真面目に向き合えれば精神修養ともなるのです。
本当は良いことだらけの掃除なんですね〜
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