過去生では人を裁く立場としてあるべき姿を追求した結果、今生に待ち構えていた影響とは!?

過去生のキロク

『社員に対して時には厳しくあらねばならないと思いながらも、全ての社員に対して平等にあらねばならないと思えてしまい、ここぞと言う時に押しの弱い対応をしてしまうことがあったりします。
なにか過去生的な原因でもあるのでしょうか?』
という経営者さんからの相談でした。

温厚さと職人気質満載でありながら、楽しむスイッチが入ったら限界なく突っ走る不思議な方です。

過去生を調べていくと裁判長として働いている姿がいきなり浮かんできました。

時代はモンテスキューの三権分立が提唱され浸透した頃だと思われます。

生き方に対する探究心の強い魂的な性質上、その時代で何を学んで世の中で役に立つ人になれるのかということを考えた結果、司法の道を志されます。

司法のあるべき姿とはなんたるやということを追求され続けます。
その方はそのまた過去生では修行的なこともされていたので、一度のめり込んだら本気度が高いです。

司法を学び裁判員となり実力をつけていきます。
更に人を裁く世界に身を置く立場の人間として自分のあるべき姿を試行錯誤される日々を過ごします。

そして裁判長となり自分の行う決定一つで人の人生が決まることへの責任の重さを痛感します。
自分の下した判決が本当に正しかったのだろうかと葛藤する日々が続きます。
過去の時代ですから判決に不服があれば異議申し立てではなく、報復されることもある危険な仕事でもありました。
いわば命がけのお仕事とも言えるものであったようです。
また時折良心の呵責に苛まれます。
真面目にやればやるほど苦しいお仕事であったようです。

退職後は解放され自由に人と接することが出来るようになったのですが、平等であるべきという精神がこの過去生で強くなってしまったのです。

この件をお伝えしてからは、裁判長時代の影響を色濃く受けていた過去生からくる観念的な平等の発想から抜け出し、自分の感覚に応じた社員への対応がしやすくなったとのことでした。

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