この世の更生施設は刑務所であの世の更生施設は地獄である。
この内容はとある歴史上の人物が死んだ後に起きた過去生のキロクならぬあの世のキロクである。
生きている時は聖者として扱われ続け罪人と問われたことなどまったくない人物である。
むしろ関わっていた人はその人物に感謝し死んだ後は天国に行くに決まっているじゃないかと当たり前のように思われていたくらいの存在。
しかし向かった先は地獄であった…
なぜなのか!?
それは聖者を演じて人をコントロールし、信者に幻想を見せ続け惑わし、お布施を大量に集めて私腹をこやし続けたからである。
ちゃんとした地獄というのは地獄絵図として描かれているような世界は存在していない。
地獄絵図はどちらかというと悪いことをしないようにする戒めやコントロールも含まれ、地獄ではなくもっと下の黄泉や魔界的な階層を表していることが多い。
むしろ本当の地獄はどちらかというと日本の刑務所に近いのである。
海外の刑務所は国によってまったく違っていて日本人からすれば、海外の刑務所を見たら本当にそんなので更生すると思うの!?更生なんてするわけないでしょ!!と突っ込みたくなるようなものは多いが…
ちゃんとした地獄にいけると日本の刑務所の独居房のようなところに入れられて延々反省を促されるのである。
基本的に真っ暗闇無音無臭のイメージ、小さく何もない空間が適切とみなされれば独居房のような場所に移動させられる。独りぼっちの広大な空間が用意されることもある。
とても厳しく嘘はまったく通用しない!!
たとえ人間は騙せても全ては閻魔様がお見通しなのである。
嘘をついたら舌を抜かれるという表現はここからきているのかもしれない。
嘘は意味をなさない世界に延々と閉じ込められ自問自答を促され続けるのである。
ここで内省の力を養い次の転生で真っ当な道から外れぬようにしてくれるとても有り難い場所なのである。
向き合って対峙が出来れば見事に更生の道が用意され、次の転生の条件が整うのだ。
次の転生に用意される道は本人にとってはいばらの道。
されどそれすら望んで向かう覚悟が持てた時地獄の世界から自然と解放されるのである。
地獄に行けたということはむしろ更生の余地があった存在で、それすら叶わぬ者はある意味見捨てられ別世界に移動するみたいだ。
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