久々の過去生のキロクです。
『自分のことよりも人のために何かしていないといけないと思ってしまいます。
コロナ禍でマスク不足の時は、自分の持っている未使用のマスクは医療機関に寄付して、自分の分は道に落ちてあるマスクを洗って使ってしまったりするのです。
やっている行動が少し病的ではあるということは分かっていながらもこういうことがやめられないのです。』
とのことで過去生を請け負ってみたところ意外なものが浮上してきました。
過去生では一攫千金を狙い当ててやろうとしていたギャンブラーだったのです。
そして見事に大当たりしまくっていたのです。
当たり前のように勝つ。
暇つぶしにやっても勝つ。
もちろん狙い通りにやれば120%勝つというくらいの勢いです。
ツキにつきまくり勝つのが当たり前で無敵のギャンブラーと化してしまいました。
ギャンブルで負けるという意味が分からないというくらいの勢いです。
傍目には一見羨ましい人生であるかのように見えてしまうのかもしれませんが、こういうことの裏には何かが潜んでいます。
まるで何かに乗り移られたかのようなギャンブラーでした。
そして完全に魔物に取り憑かれてしまったのです。
こうなってしまうと自分の意思でギャンブルをやっているのか分からなくもなるし、全ての行動が魔物の介入を受け破天荒で無茶苦茶な人となってしまいます。
ギャンブルでは負けないものの人生は荒廃していきます。
エゴは肥大し自分のやっていることを全て正当化するという手がつけられない状態になっていきました。
奥さんからは愛想をつかされ三行半を突きつけられ、信頼出来る人達から見限られる始末…
やけになりお金もどんどん散財してしまいます。
最後にはドラッグや酒に溺れ幸せには程遠い人生となりお亡くなりになりました…
死んだ後にギャンブルに呑まれて人生が狂ったことで後悔し続けることになったのです。
●そこで次の転生の選択に入ります。
ギャンブルで身を滅ぼした過去生を反省し、全ての問題ある自分自身を洗い清めたいとのことで修行の道を志します。
ここでやり過ぎる性格が災いしました。
洗い清めるということは、全てを認めきって感じ続ける必要があるのですが、全てを否定してしまったのです。
まぁどの修行者もこのパターンによく陥ってしまうのですが…俺も含めて(笑)
こんな悪い自分ではいけないから聖人にならないといけない!
どんな人にも親切で優しくしなくてはならない!
贅沢はいけない。お金は不浄なものだ!
ネガティブな考え方をしてはならない!
ネガティブな感情は全て封印して感じてはならない!
このように、ありとあらゆる制限をして形だけの聖人となってしまいます。
悪い自分の中には個性や諸刃の自己の中にも良い面が存在していたりするのですが、全てを否定してしまい中身のあまりない良い人が出来上がってしまう感じでしょうか。
本人の自己満足は得られますが学びは少ないものとなったのです。
この過去生が今生はそのまま影響してしまい自分の個性が全く出せず、自己の欲求は全て抑圧し、自分のやりたいことが分からないという不便な状態に陥ってしまったのです。
このことを伝えると本人さんはかなり納得がいったらしく、今生ギャンブルは絶対に手を出しちゃいけないものと思っていた理由などが腑に落ちたそうです。
そして形だけの聖人では意味がないので人間らしくありのままを受け入れることからスタートさせることを決心されました。
それからはギャンブルもそんなにやりたいとは思わないけれど、やっちゃいけないものと抑圧する対象ではなくなりフラットにギャンブルを捉えやすくなったようです。
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